昨日の訪問者が言っていた。内部の人にもう一部新聞を頼むのがなんで広布なの?って聞いた時、「先生がそうしなさいとおっしゃる事に意味がないはずがないから。」それはつまり信仰だ。思想に感銘を受けて慕うのとは意味が違う。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年5月19日
当たり前のことなんだけど、ソウカの活動家は、
新聞の営業マンでもなく選挙屋でもなく、信仰をしている。
信仰とはつまり、教義を信じ、理屈抜きで拠り所とすること。
それは「この人(教団)しか信じない」という宣言で、
部外者を侮(あなど)り、分断し、
教団内の思考回路に自分を押し込めていくってことかも。
私は「無信仰」でいたい。
すべてのものに学ぶ。
たとえ池田某氏であろうと、
「邪教」のお坊さんであろうと、
「外道」の説教であろうと、
ほぉ!と思えば耳を傾けるさ。
それが無信仰だ。
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