これ、すごく気になって且つ腑に落ちないでいる部分。
私が、現在のソウカへの批判を込めて、
こうあるべきじゃないだろうか、
こういう御書の一節はこういう意味なんじゃないだろうか、
という話をすると、「その通りなんですよ」と言って喜ぶ活動家がいる。
先日も私の話にえらく感動して、
「座談会で紹介したいから原稿を書いてほしい」と
依頼をしてきた婦人部の圏幹部がいた。
「そうなんです。あなたが言ってることは正しい。
そのことを分かってない活動家が多いから、やりにくいんですよ。」
みたいなことを言う。
理想を語る学会員はけっこう良い事を言う。
葬式仏教や権威主義におちぶれた宗門を批判する時にはえらく威勢が良い。
筋も通って聞こえるし、
おすがりでもない、ご利益信仰でもない、依存し妄信させるような不自由なものでもない、
宗教嫌いの日本人が偏見を持つような宗教とは一線を画す団体だと自負していて、
「あれ?この人らの言ってることって正しいんじゃね?」
と、批判的な話をしてるつもりが、結論が同じになってしまうことすらある。
で、結論は同じなのに、その後の行動はまったく相容れない。
そこまでわかっているのに、
彼らが実際にやっていることといえば、
座談会や、本部幹部会の放送で、体験や指導を見聞きしつつ、
新聞の多部数購読の推進、
公明党支援のお友達の輪拡大やビラのポスティング、
民音チケットやパンプキン、第三文明等の書籍の内部購入推進、
こちらに書いたような財務の推進・・・。
完全に「金と権力」が活動のメインテーマだ。
その活動の場面に、仏法対話など微塵もないし、
さっき語った理想は、いったいどこで実現されてるわけ?
それって関係なくなくなくなくない????みたいな。
「信じていること(理想)」と「現実」の乖離になぜ気づかないのだろう。
なぜ妄想の世界に身を投じ、
己の実際の行動の意味を見つめようとしないのだろう。。。