2013年5月29日水曜日

属人。属事。




押し付ける人間は他人の選択を侮辱している。








劇場型宗教





正義の味方の元に平和は訪れないと思う。





そうか。悪を設定しないと正義の味方ではいられないんだな。
戦う戦うばっか言ってる人たちは、周囲に悪を設定して戦うんだな。
だから罵るのが好きなんだ。

そんな人たちが世界平和って無理だな。
彼らが戦う限り悪は存在するし、もし彼らのいう平和が実現したら正義も消える。
そうすると原理主義者が現れるんだ。

2013年5月22日水曜日

「無解有信の人」



誰が書いてんねん。責任者だせ。( ̄(工) ̄)
まったく呆れた暴論だと思う。

んな小説読んで、褒められたと思っていい気になるアホが山のようにいるんだろうか。

「無解有信」て救いようないアホ状態でしょお。
てか、そりゃ危険人物でしょお。
信じる団体または人が、「これをやれば功徳がある」って言えば、なんでもやるんじゃない?

それを「はるかに尊い人」と呼んで、褒め称える。

「考える前にまず動け。」

聖狂新聞はいまや、狂信者製造紙だ。

『口によく出す言葉の逆が心の深層を映す』



「報恩感謝」の逆はなんだろう。
「師弟」の逆はなんだろう。
その逆を罰する心が、恐怖となって己を律する。

私はそれを「強迫」と呼んでいる。

2013年5月20日月曜日

「教師を神格化してはいけない」


まあ、冗談なんですけども、
要するに、教師を神格化する = 信仰する人々が、
結果的に教師の思想を貶め、ゆがめていく、
その無自覚なままの精神の服従について、
クリシュナムルティという人は語ったんだっちゅうお話。

思想をみよ。人をみるな。
というのは、
いわゆる「依法不依人」と同じ思想。

「罵ってよし」認定。

リンク先は、聖教新聞の切り抜きと、
その座談会の記事。

ニュース 公明党委員長使い捨て

心が荒むから、まじめに読まないほうがよいけども、
これを読んだあと、
ソウカ学会は人間主義の平和を実現する団体だなんて、
どの口が言うだろうか。

どうやら会員に「コイツは罵ってよし」認定を喰らうと地獄に落ちるらしい。
触らぬソウカに祟りなし。くわばらじゃ。
 

「信仰」の正体。


当たり前のことなんだけど、ソウカの活動家は、
新聞の営業マンでもなく選挙屋でもなく、信仰をしている。
信仰とはつまり、教義を信じ、理屈抜きで拠り所とすること。

それは「この人(教団)しか信じない」という宣言で、
部外者を侮(あなど)り、分断し、
教団内の思考回路に自分を押し込めていくってことかも。

私は「無信仰」でいたい。
すべてのものに学ぶ。

たとえ池田某氏であろうと、
「邪教」のお坊さんであろうと、
「外道」の説教であろうと、
ほぉ!と思えば耳を傾けるさ。

それが無信仰だ。

「嘲笑」



正義の暴力。


「こうあるべき、でなければならない・・・・」

って、あなたが思ってるだけでしょ?っていう話が通用しない人とは、
あんまりお話をする必要はないと思うのです。

はい。
 

「自分を生きる」なんて話。



どれだけ気づけるか、それで豊かさは決まる。
だから、決め付けたり、分かったつもりで目をそらしたりせずに、
何に対してもニュートラルに見る。

そのときの、その場の、自分の感受性以外に、何も持たない。
そんな風に「自分を生きる」のが勇気だと思うし、
それが「己心の仏性を輝かせる」生き方と思うっす。

マニュアル抱えて生きるのは、
ある意味、楽がしたいっちゅうズルさだと思うな。
失敗したくないだけなんでしょうけども、
残念ながら、どんだけ避けても失敗も間違いもあるから。
腹くくって生きたほうがいいぜよ。
 

「気づいた人」は誰もが師匠だと思う



知っていることと知らないことの間に、何の溝があろうか。
知識は開かれている。そこに特定の師匠など必要はない。

気づくか気づかないか、そこにこそ偉大さがあるんだ。

「気づいた人」は誰でも師匠。
特定の分野でもいい。
気づいた人はその分野の仏法を観たんだ。

コピーはオリジナルに勝てない。
そのオリジナルの秘密に気づくこと。

それが仏教の道だと私は思う。
 

2013年5月15日水曜日

ノウハウと祈り。




あとはただ祈るのみ…マニュアル本を片手に。

仏教って。


「楽をして勝てるわけがない」



真理へのとびら



昔はちゃんとした扉だったってのは、私がいうのは鎌倉時代のことだ。
昭和の人のことじゃない。

支配されたがる人。




支配されることと引き換えに、
あの人たちは確実に安心感を手に入れている。
「学会は信心の安全地帯」なんていう不思議なフレーズを聞いたことがあるけど、
学会にいれば安心って信じたその時点で、内容はどっかへすっ飛んでるんだから、
いくらおかしさを説明したって無駄なんだ。

それよりも、支配を受けている自覚、
暴力を受けている自覚、
自由でいることには勇気がいるってことを、
気づかせるような波風が必要。

価値と豊かさ


山本かっぱ ‏@shirayuri_kun 5月9日
「価値ある生き方」と「豊かな生き方」の
そのベクトルの違いってのは絶望的に大きい。
たとえ紙一重に見えても。

「私はまさに自ら私の事柄なのであり、故に、私は善でもなく悪でもないのだ」

依正不二



煩悩を強める「祈り」


天変地異の因果関係


環境破壊がどーのーこーのじゃなくて、
罰だとか言い出す人ってのは、総じて命を侮辱していると思います。

「偶有性を味わう覚悟」

2013年5月4日土曜日

「歩く瞑想」

さあ、お散歩にでかけよう。

「100%今を味わう生き方」~歩く瞑想:ティク・ナット・ハン
プラム・ビレッジ(フランス)のシスターが語る気づきと瞑想

「心の問題は単に体を動かさないことから来る」


これホントだよね。うん。
何時間もマントラあげる暇があったら、
ゆったりお散歩でもするほうがよっぽど良いと思う。

カテゴライズしない。名付けない。




出来るだけ心がけていることがある。
「用語を使わない」こと。

何かと難し気な言葉で、華麗な説明をする人がいるけども、
つい言葉遊びになって堂々巡りの自己満足になってたりするのを見かける。
だから、用語を使わない。
発想を言葉の枠に当てはめない。
カテゴライズしない。
名付けない。

自分もそう。
自ら枠にハマりに行かない。

毎日死ぬ。


睡眠ってのは、ひとつの死だと思う。
その後、起きるか、起きないかの違いだけかもしれない。

拘らない、拘らないことにも拘らない、
信念を決めつけない、背負わない、
毎晩リセットするような、
毎朝生まれるような、
そんな感じで。