「永遠の指導者」を定めるというのは「一君万民」思想そのもの。少なくとも仏教とはまったく相容れない。このままなら、愚かな万民と利用主義者とに二分された集団が、細々とした盛衰を繰り返すだけに終わるだろう。
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年3月31日
2013年3月31日日曜日
「永遠の指導者」
正義。
私が嫌いなのは「正義感」なんだね。押し付けてなんかないというけど、正義は必ず人を裁く。ヒーローは邪悪を倒す。水戸黄門にはひれ伏す。押し付け以上の暴力行為がまかり通る。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月30日
水戸黄門に出会えた人なんて一握りで、大半が悪代官に搾取され続けるのが現実。それでも「印籠が目に入らぬか」ってやれるその根性と、それにひれ伏す人の根性と。。。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月30日
水戸黄門とひれ伏す人たち。
何かに似ている。
前向きな人。
私は前向きな人が嫌いだ。てか、敢えて前向きになろうという人が嫌いだ。元々人は前しか向いていない。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月30日
それと同じで、「最も尊い皆様」とか平気で言うヤツと、それに喜ぶヤツが嫌いだ。お前に言われなくても誰でも尊い。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月30日
前向きだの尊さだの、当たり前のことをわざわざ言いたがるヤツは、逆さまの心の持ち主だ。下を向いて私なんかダメだと思ってるから、前を向き尊い皆様の列に並びたがる。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月30日
妙に暗示的な言葉遣いで、前向きなことを呟く人が嫌いだ。
人に「気づきを与えたい」みたいな遠回しで屈折した正義の押し付け。
そして自らの言葉に雁字搦めになる。
2013年3月28日木曜日
すべてに反逆するということ。
我々は家畜化を選んで生き延び子孫を繋いだ人々の末裔なのだな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
だから家畜化を選ぶよう遺伝子にインプットされている。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
それに逆らおうってんだから、そりゃ私はマトモじゃない。少数民族なのだろう。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
逆らうと言ったところで、私が居るのは中間点だ。家畜でもないが、世捨て人でもない。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
すべてに反逆するとは真ん中に居るってことだな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
「不安ゆえに自由になどなりたくない」のだ。
彼らは不安ゆえに自由になどなりたくないのだ。宗教だけの話じゃなく、あらゆる場面で、保証と制約のある道しか歩まない。彼らと同じメンタルのまま、制約に文句を言ってる人が多いのだけど、それは引き換えにしているという自覚がたりないだけの無い物ねだりだ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
そういう人に対して彼らが説教したがる気持ちは分かる。しかし、その保証が要らないんだと言っている私のスピードに彼らはついて来れない。そのことにも気づかない。前を歩いてるつもりでモノを言いたがる。路線そのものが違う。@shirayuri_kun
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
結局のところ、彼らの主張は、
「こうすれば、成仏できる。幸せになれる。」っていう話なわけだ。
当然、裏返せば、
「こうしなければ、成仏はない。幸せになれない。」って話だ。
で、私は、「彼らの言う成仏や幸せは、本当の成仏や幸せではない」っと言っている。
「それは結構です、私には必要ありません」と言っているんだ。
信心で幸せになりたいと言いつつ、
その条件は飲めませんねぇ・・・というのは我侭だっちゅう話。
あ。だからって学会の現状肯定じゃあない。
いまやその「条件」がおかしすぎっちゅうのは、確かなんだけどね。
私は、学会について、単に不満を述べているのではなく、
根本から否定してるっちゅう話。
だからもう、「愚痴はいけませんよ」ってな説教はやめておくれ。
自ら望んで家畜となり、安心を買う人達に、自由になれっちゅうのは酷な話だ。しかし彼らは、家畜化されてない人を見て心配し、家畜がいかに安心かを説き、拒否した人々の生きる様を見て嘲笑う。何がそうさせてしまったのだろう。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
2013年3月27日水曜日
発見と発明。
仏法は発見。宗教は発明。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月27日
ちょいちょいツイッターをしていると、
こんなフニャっとした思いつきも残っていく。
これって結構なひらめきやな。
発明は、発明した人や団体が独占して商売しようとしたりするけども、
発見されたものは、みんなのもの。所有権を主張するヤツは嘘つきだ。
発見されたものは、誰がいつ見ようと自由だし、自由な解釈ができるけど、
発明品には、発明者の意図と注意書きがビッシリ書き込んである。
発明品の宗教は真理じゃないってことじゃないのかなあ。
だって普遍じゃないってことだもん。
一念三千は発見だけど、師弟不二は発明品だ。
因果具時は発見だけど、御本尊は発明品だ。
2013年3月25日月曜日
「新聞啓蒙」に思う。
隣の隣の地区の話。80部を地区幹部で頭割りと言っていたのに、突然もう啓蒙をしなくて良くなったと不可解な終わり方をした。不審に思った人がたずねたら、あるご婦人が一人で80部の購読を申し込んだという。財務と同じと思えばできる事だと言ったそうだ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
それをまた、本部のおばさん達が、そのご婦人を見習えと地区幹部達に説教した。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
その話を聞いていて、私ももう、分かり切った感想などを大声で叫ばないようにしようと思ったんだ。ただ、情報の共有は必要。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
いやーだから、支部の上の本部の人が、それは良いことだと、見習えと言ってるんですよね。で、本部の人が言うには、圏の婦人部長が「不足分は頭割りしてでも勝利を持って来い」という方針だと申しておりまして、そこら辺りには副会長さんとかも居るわけで…。@s49march
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
ちなみに、一番身近なその副会長さんは、以前ウチの地区の座談会で、命を投げ出して師匠をお守りするところにしか功徳はないって演説をぶった人だ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
副会長クラスが突然そんな、命を投げ出せってな師匠原理主義みたいなことを一人で言い始める…、その人が異常なんですよと、そう思うなら思ったらいいと思う。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
そうさ、先の「命を投げ出せ」演説を地区の活動家達は大きくうなづきながら涙を流して聞いてたんだぜ。え?どこがおかしいの?って人すら大勢いるさ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月25日
このご婦人は「財務」を引き合いに出し、
頭割を強制されかけて困っていた地区の人を助けるために一人立ち上がり、
広布のお役に立てたと満足気らしい。
地区幹部たちの中の一人は新聞配達員で、
「80部の新聞はポストに入らないと思うんですけど……」と
そこかよ…ってな不思議なツッコミをいれていた。
実際、こういう場面に遭遇すると感覚が麻痺してしまうけれど、
学会内の問題は、すでに信心云々の話で済まされないという一つの例ではあると思う。
・新聞啓蒙、対世帯数200%推進月間について
「文底読み」
文底読みってすごく腑に落ちない感があってさ。これ言うとすんごい怒られると思って言わなかったけど、結局、この経文に書いてるのは、ホレ、俺のことじゃん…という話なんだよねぇ。まるごと錯覚とか偶然の一致の可能性とか…まーこれは怒られるだろうなあ。(;^_^A でもまあソコなんだけど。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月24日
入会したばっかの頃、御書学で、文底読みって理解しにくいんだけどなに?と質問したことがある。そしたらさ、そんなこと気にしていると、頭デッカチで動きの出来ない口先人間になる、自然に分かるようになることだから今は気にするなってなことを言われたね。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月24日
家庭訪問にくる幹部さんとかも、対話が大事だから疑問はなんでもぶつけてとか言うけど、文底読みって屁理屈ちゃいまっかっていう路線で来られたらどうするんだろうな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月24日
2013年3月23日土曜日
かっぱの目的
私はね、活動に功徳があると信じて、やらねばならない!と強迫的に走ってる人を立ち止まらせたいだけなんだよ。学会の本来の目的が世界平和だかなんだか知らないけど、納得もいかないまま程遠い活動にせっせと精を出して、強迫観念に立ち止まることもできず苦しんでる人を助けたいんだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
学会の中に今でも美しい理想があると信じてるなら、勝手にやってればいいじゃん。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
で、意見の違う人にとやかく言うことないじゃん。距離を取ればいい。私は目の前の人と、関心を持って耳を傾けてくれる人に語りかけてるだけさ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
私のような人間が声をあげ続ければ、結果的に学会組織は今よりもっと衰退するかも知れない。で、組織が衰退したら何が困る?組織があろうとなかろうと、理想を語る口を持った人はいるじゃないか。看板はなくとも一人間として語ればいいじゃん。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
それが「一人立つ」ってことでしょ。組織がどうのこうの言うのは結局、数でモノを言う暴力なんだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
間違えてもらっちゃ困るのは、私のような人間が言った言葉に反応して立ち止まるのは、学会の中に真の理想が見えなかった人達だよ。そういう人は、元々広布の戦力ではないし、その意味で私の行動は学会組織を衰退させたりはしないね。相応の姿に戻すだけさ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
学会の中の真の理想。。。と書いたけれどね、
例えばそれが「全人類の幸福実現」で、そのために「万人に具わる仏界の生命を湧現しよう」と広める(=広宣流布)のだとして、
そこまでは異論はないよ、もちろん。
そう思ったから入会したんだから。
だけどね、このご本尊でなければだめ、学会でなければだめ、この先生でなければだめ、
そんな「幸福実現の特許を持ってるのは学会です」みたいな話ばっかされて、
それを広めるための活動がすべて正義とされるわけだけど、
でも、学会は正しいみたいな根拠はどっこにもないんだよね、上手く煙に巻いてあって。
それらしき話は聞くけど、ファンタジーだし、
希望と方法をセットに提示されると、暗示的に脅しになってしまって、
よくわかんないけど言われたとおりに戦おうって、
盲目で猪突猛進な人ばっかりになちゃうのさ。
そんな人がいくら仲間を増やしても広宣流布とは程遠いよ。
わけわかってないスタイルだけのコピーなんだから。
仏界の湧現?それは瞬間の気づきのことだよ。
誰だっていつだって無条件にできるのさ。
(こういうと宗教ビジネスが成立しない。だから本来の法華経は迫害されるんだよ。)
そこへ条件をつける奴らは誰一人信用しちゃいけないんだ。
私はそのことを身近な人と、耳を傾けてくれる人に広めたいんだ。
======
ちなみに、それでも正しさを主張するために、
識者、学者、有名人の皆様のご意見などを活用して、
「あの人も言ってる、この人も言ってる、だから我らは正しい」って、
毎日確認のために大声で叫び続けるのがあの新聞だね。
新聞啓蒙、対世帯数200%推進月間について
新聞啓蒙が地区目標まであと40部近く足りないんだそうだ。最後まで頑張ってできないものは仕方が無い…と昨日の協議会で話してたらしいんだけど、それじゃダメだっつうことで、協議会メンバーで頭割にしなさいってことになったんて。泣いてたよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
本部で一斉に対世帯数200%やってるんだけども、隣の地区では80部以上足りないそうですぜ。みーんな嫌になってる。どっかで誰かが責任感に潰されて泣く泣く払う。。。@sougaku_salon
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
しかしさあ、新聞啓蒙足りないからって、主要メンバーで頭割しろ!なんて指令出したら、すぐ知れ渡るわけよ、地区に。それ聞いて頑張ろうって人がいるか?逃げるに決まってるじゃん。余計に誰も寄り付かなくなるよ。バカなんじゃねーの。自爆テロかよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
200%月間は、地区の世帯数に対して倍なので、数は決められないし、ずっと変わらないのでやんす。大体の話で、100世帯、普段の基数は100部、今月の目標は200部。活動家は5名ほどという悲惨さ。足りない分は5人で割り勘で購読しろということです。 @kamack777
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
年に二回の新聞200%、一人20部のノルマを課せられるとして、不足分は地区の連帯責任で実費で負担させられるとして、あなたはそれでも活動家でいられるか。ソウカはこんな地区も作り出してる。きっと日本中にある。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
結局誰かがウンザリしながら贈呈するっていうパターンが一般的なんでしょうね。うちの周辺では、そうしてた人たちが拒否し始めたから、「主要メンバーで頭割」ってのが始まったんだ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
地区じゃない。圏の単位での方針。私の地区は数字的にまだマシ。 RT @komeiwatchdog: その地区は明らかに異常。 地区部長・婦人部長は解任もの。学会本部に相談すべきです。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月20日
本部に相談してどうする。。。魔女狩りでもすんのかな。誰に責任押し付けます?ってか。指示を出す方もおかしいけれど、従う人がいて成り立つんだよ。従った責任もあるんだよ。あの幹部が異常だったからでは済まない。もし済むなら、どんだけ恐怖政治の組織なんだ?って話。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月20日
てかね、直接的な指令を出すか出さないかの違いだけで、新聞の贈呈なんてのは、明らかに全国規模で行われてる訳よ。やってる本人は強制されてないって言うだろうけど、だからそれが「カモ」だっちゅう話。そんな地区は異常だなんていうのは、泣く泣く贈呈する地区や支部の幹部の現実を知らないだけ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月20日
で、後日談。。。
そういえば、先日の新聞啓蒙の不足分頭割りの件をさ、「そうまでして勝利しようという心が素晴らしい!」と絶賛してたよ。うちの本部の人。( ̄(工) ̄)
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
「意見の違う人はどうしても出てくるけれど、仏法は勝負だから、勝利することが前提なのは理解して貰うしかない。」だそうな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
でやっぱ「仏法は勝負」は、現場ではノルマ達成の義務として語られるんだよね。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
後任人事の覚え書き2
昨日の夜も本部の人が来たんだよ。「組織はなくとも信心はできるじゃん」て軽口叩いたら、「あなたは出来ても出来ない人もいる。そんな人のために尽くすことが自分自身の成功に繋がると先生は教えてくれている。あれもこれも教えてくれたのはすべて先生だ。お元気な間に一緒に戦って、後悔をしないよう
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
→生きて欲しい。あなたのためを思っている。自分勝手はいけない。師弟を外れて仏法はない。人に尽くし、先生の指導を守ったからヤマダ電機は成功したし、ナイツは……」私はやっぱり、池田教と呼ぶのがピッタリかと思う。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
先の婦人部長の話が強迫観念ってのは分かるよね。「こうすれば成功する」ってのは、裏返せば、「こうしなければ成功しない」なわけで、単純に強迫だよ。しかもそれは仏法なんかじゃない。日蓮仏法の看板おろせ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
昨日の訪問でだいぶ言いたいこと言ったんだ。「私は形式の模倣に意味を見出さない。常に意義を本質を中身を問わねば、空っぽなコピーを作るだけで救済の宗教とはなり得ない。」そしたらね、あなたの話は本質を突いてるから、今度うちの座談会で話してくれって言われたんだよ。伝言してって頼んどいた。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
今の今まで「すべて先生が教えてくれることが正しい」とか言ってたのにヘタレか…と思ったけど言わなかったよ。( ̄(工) ̄)
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月23日
「退会する勇気」が必要な人たち。
「退会する勇気」とはなにか。よく聞かされるような「退転者の悲惨な末路を思い浮かべて恐怖を感じて、結局辞める勇気ないんでしょ、君。」ってことかなあ。その強迫から脱して脅しが無力化されたから退会するんだよ。で、強迫を抜けない人なら、宗門等へ鞍替えしたり、思いとどまって学会に残る。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
退会に勇気がいるという発想自体が脅しに屈してる証拠だな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月22日
2013年3月22日金曜日
森田さま覚え書き
年に二回の新聞200%、一人20部のノルマを課せられるとして、不足分は地区の連帯責任で実費で負担させられるとして、あなたはそれでも活動家でいられるか。ソウカはこんな地区も作り出してる。きっと日本中にある。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月19日
@shirayuri_kun {一人20部のノルマを課せられるとして}{実費で負担させられるとして}仮定形で、書いていますが、事実であるとすれば、間違えていますよ、その地区の中心者の価値観は。ただ、自分の生命状態にピッタリの環境なんですよね、一念三千ですから。依正不二です。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月19日
@shirayuri_kun 聖教新聞は会員であれ、非会員であれ、本当の幸福(絶対的幸福)確立のためのツールであって、組織の数のためではないという信念を揺るがせにしないことが肝要かと思いますね、そして自分がどれだけ、人を幸福にできたかだけだけが、意味のあることですよね。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月19日
@shirayuri_kun {あの新聞は狂っている}と、本気で思っているのであれば創価学会員として在籍している意味も必要も無いはず。にも関わらず、何故在籍を続ける??その事のほうが、異常に映るが?決断できない自分を見つめるべきだ。「かっぱさん」に同調する人も同じだ。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月20日
@shirayuri_kun 私は、かっぱさんに、退会するべきだと言っているのでないことがまず大前提です。>退会話をしてる私 と言っても、退会届けを迷わず、ためらわず提出したわけではないですよね、当然、学会員として頑張ろうと言うのが組織の人間としては当たり前です。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
@kunnpuu5 @shirayuri_kun 真剣に退会について、納得のいく結論を自分で出すためにも、100万遍とはいいませんが、題目に挑戦するのが現時点ではベストな道であると部外者ですが、お節介をやかせていただきます。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
@shirayuri_kun 部外者というのは、地元組織の人間でないということ。もう、何も言いませんよ。ご自分の意思を貫徹して下さい。それこそ、地元組織の人を完全に無視しきれるだけの鋼の意思があるかどうか、それはそれで、たいしたものです。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
@shirayuri_kun だって、引き止められて、オタオタしているじゃないの。どんなに、引き止められても、悠然としていることを無視といったのだけど。結局、退会するすると、騒いで、引き止めてもらって、まんざらでもないのですよね。本気で、退会なんでする気ないのバレバレね。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
どう読めばそう解釈できるの?心が離れてしまった宗教団体には、在籍してることにすら意味がないんです。森田さんの想像してるような「かまってちゃん」と誤解されたくないので、退会云々で騒がないことにして、フェイドアウトで確実に離れるんです。@kunnpuu5
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月21日
@sandai_hiho ご忠告ありがとうございます。私もかって、真剣に退会を悩んだだけに、つい口出ししてしまいましたが、もう終わりです。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
それほど、学会に疑問不満があるのであるならば、身を処するか(退会)、納得できなくても、とことん実践するか、2つに一つしかない。中途半端は、所詮「悪」である、悪と善には、中間は、無い。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
あなたにはあなたの道、彼等には彼等の道、分かれるのは致し方ないだろう。やるだけのことをして、もはやこれまでとなれば、「聖教新聞は狂っている」などと言う人間は、潔く退会するべきだ。退会する勇気がなければ、沈黙することだ。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月21日
口封じに不満分子を追い出すのは良い案だ。
しかしひとつ言い忘れていた。
旦那も仕事仲間もほぼ学会員という環境に生きる私は、
退会しようとも学会と無関係ではないゆえ黙らない。
残念ながら。
信心に師匠はあり得ない。
更に言えば、だからこそ信心に師匠などという存在はあり得ないということを言いたい。@shirayuri_kun
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月21日
このすごく単純な話が、どれくらいの人に通用するんだろう。
喜んだり、幸せを感じたり、感謝したり、
それはすべて自分の中から湧き出した時に自分のものになる。
「友のために尽くすことこそ幸せ」だとか、
「報恩感謝の心こそ最も尊い」だとか、
人に教わって、「よっしゃ、そうしよう」…なんて発想は、
「こうすれば幸せになる」という条件の元に動いているだけ。
たとえ思った通りになったとしてもだ、
それは借り物であって、さらには、
条件を与えてくれたナニモノかに報恩と服従を強いられるっちゅう罠にハメられている。
まんまと手枷足枷をハメられてしまうんだ。
真の宗教指導者なら、
その意味をちゃんと理解して、
「友のために尽くすことこそ幸せ」なんてスローガンは使わないし、
「断じて勝て!」なんて言わないね。
指導者の器じゃないのさ。
てゆっか、真の指導者なら、そもそも師匠になろうとはしないわな。
2013年3月21日木曜日
人間でありたいならば。
同じ指導でもね、自分の実感から湧き上がる共感を持っている人と、それが正しい(らしい…)と教えられた人とでは全く違うんだよね。いくら私でも前者を無闇に否定はしないよ。で、そういう人は無闇に暴走しないよ。でも後者の場合はね、それは指導という名の暴力の被害者なんだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月21日
心からの共感を持って信心する人は、知識を背負う必要すらないんだ。知識武装は自身の混乱を表している。指導の類をコレクションして、賢く正しくなったつもりでいても、それは単にデータベースでしかなく、生き物としての生の喜びなど何処にもない。知識は降ろすべきだ。人間でありたいならば。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月21日
今日の悟り。
悟りは思考の産物ではないと思うんだよな。それは誰でも無意識に持っているもので、説明するために言葉が必要で思考が必要にはなるんだけど、ほんの一瞬で気づくものなんだと思う。だから、開くっていうんだよ、きっと。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月21日
すべての人にそんな力が備わってることを仏性と言うんではなかろうか。
2013年3月19日火曜日
後任人事の覚書き
婦人部長は新聞長兼務だったので、後任の新聞長は、現副新聞長の私に、
現白ゆり長が地区婦人部長になったとして、
白ゆり長を副白ゆりの私にとの人事案がある。
脱信心宣言をし、すべての会合を拒否しーの、新聞も止めてくれと懇願中の私に、
そんな話をしてくること自体、
会を軽視していて他の会員さんに失礼だろと私は思うんですが、
そこまで切羽詰まるほど、田舎には「人材」とやらがいないのですよ。
@shirayuri_kun かっぱさんは、絶対に断れないですね。断るというより、受けない人は、悩みませんからね。「できません」と、悲しそうに辛そうな(本当に辛い)今にも泣き出しそうな顔で、うなだれますからね。それ以上、押すと、押した幹部が精神的虐待者のようになりますからね。
— 森田 薫さん (@kunnpuu5) 2013年3月17日
精神虐待の経験があるというお話なのか、なんだかよくわからないんですが、なんとも言い難い別世界の判断基準というかなんというか………
私が白ゆり長を受けるか受けないかで、悩んでいる印象を持たれるでしょうか?そのレベルとは絶望的にかけ離れております。私は信心すらしてはおりませんから。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月18日
後任人事が決まらないと、本部長とか色々大変なのでしょう。だからって土砂降りの夜にゾロゾロと押しかけて、いきなり白ゆり長、新聞長の面接だと言うので、申し訳ないけどお帰り下さいと言って玄関にも入れなかった。しかし帰らない。エンジン掛けっぱなしの車でうちの前に張り付いている。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月18日
インターフォン、電話、メール、その場にいない友達からも「話だけでもきいてあげて」と電話。2時間くらいたってもまだ居て、10分おきにインターフォンがなる。仕方ないので表に出て、待機してたおばさんらに「帰らないなら警察呼ぶぞ」と言って追い返した。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月18日
条件付きの幸せ
こうすれば幸せになれると言われて、言いつけを守り、幸せになったとしても、それは条件に支配された幸せであって、真にあなたのものではない。精神が「無」であるときにだけ、生きることが自分のものになる。それが自由だ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月18日
無であればこそ、気づいた喜びは私のものになる。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月18日
2013年3月10日日曜日
「日本人の多くが宗教を敵視するのは、すでに宗教人だからである。」
「釈迦もイエスも、宗教儀式や宗教論争の無意味さを説いて回った。今日本で通用している「宗教」という言葉の意味で考えれば、釈迦もイエスも宗教者ではなく宗教批判者なのである。」bit.ly/YMZlRb
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月10日
→iwatamの個人サーバこれって普通に知っておくといいね。
こういうの知らないから、某団体への入会セミナーに誘われた時、
それまでの宗教の嫌なイメージと違って、斬新なものに思えて、
「私の考えてることと同じっぽいじゃん」って思っちまったのさ。
結構染み付いちゃってる宗教批判的な精神が、
実は王道だったりすることを知らず、
カルト教団をみて抱く宗教のイメージを、
宗教ってこれだからやだよな……って一般化する。
しかしだな、その心がだな、
王道的自由な思想を掴みに利用するだけで、
中身は、正義だ悪だ修行だ秘法だって言ってるような教団に、
つけ入る隙を与えてしまうんだ。
「この人ら、宗教やってる割に結構話わかるじゃん。。。」
あの人たちは、不思議なほど、そんな空気を持っている。
本当は、強烈なダブルスタンダードの渦中にいるのだけれど。
2013年3月9日土曜日
負けたっていい。
「絶対に負けるな!」だって。そこで言うべきは、死ぬな!だ。生きろ!だ。逃げ回って身を守るしか生きる方法がない時だってあるんだ。戦場から逃げ出す者を敗者と呼びながら、残った勇者は戦場で死ぬ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月8日
別に戦場でなくても、リアルな生活の中で「暴力」に晒されるとき、
絶対に負けるな!と言ったら、余計に人を苦しめる場合がある。
負けたっていい。生きていれば。
「負ける」の定義って色々。「折伏される」も「説得される」も「受け入れる」も負けのひとつ。bit.ly/Zo4gcu
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月8日
負けるという言葉にはいろんな意味がある。
何を負けと考えるか。
人よって違うわけ。
逃げることは敗北だ!……もいれば、
逃げて生き延びればいい、死ぬことが敗北だ。……もいる。
相手の条件に屈する事は敗北だ!……もいれば、
折り合いをつける方がいい、交渉決裂こそ敗北だ。……もいる。
その意味をどこまで考えての「絶対に負けるな!」なのか。
短いスローガンってのは、自由な誤解と錯覚をもたらす。
獅子は千尋の谷に我が子を突き落とさない。
獅子は千尋の谷に落ちた子供を救助することが判明 - GIGAZINE gigazine.net/news/20110926_…ちょっとこの記事もっかい見たかったのねん。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月9日
「いとも容易く駆逐できる勢力」
.@datehanzo 私が議員なら今の公明党のようだと執行部と対立するでしょう。時を待って党の中で出世して党を良くしてゆくという考え方もあるかもしれませんが、私はそれを選びません。一度、本来のあり方を示すために、筋を通して、除名されるか、一期だけで引退する道を選びます。(^^)
— Uki Tachibanaさん (@Uki_Tachibana) 2013年3月7日
@uki_tachibana いずれにしても「合わぬなら辞めてしまう」という気持ちで魑魅魍魎の世界に飛び込むのは、それこそ「殉教の精神」に悖ります。そのような正義は邪悪な勢力からみれば「いとも容易く駆逐できる勢力」です。公明議員は厳しい局面で相撲を取り続けてると思いますよ。
— 伊達半蔵さん (@DateHanzo) 2013年3月7日
「理想通りにいかないゲームからはおりる」
まるで駄々っ子のように。
何の力も持ち得ない勢力だ。
で、魑魅魍魎の世界だからこそで、
それを信仰の世界と一体化させることは避けるべきよね。
政治のどろどろが信仰を傷つけ、破壊してしまう。
しかし、この方のバランス感覚は良い。
決して好きな考え方ではないけども、
あの世界の中で、よいバランス感覚を保ってらっしゃると思う。
私がもし会に残って活動するなら、この方のようにありたい。
いや、残らないけども。
2013年3月4日月曜日
体質的に無自覚に幻想を共有する集団
みんながみんな本当に納得してるわけじゃなくて、
「財務なんかしても何もいいことなかったじゃないよ!」と時折見せる感情の爆発がある。
そういうの見るたびに平然と功徳を説くヤツらに怒りを覚える。
こんなこと言うと、
宗門さんとかは「そりゃオタクは偽本尊だからねw」てな感じやろけど、
それもほら、功徳を安っぽいご利益と思い違ってるってこと。
財務に功徳がないのは当然だ。
功徳とは我が身に顕わすもの。振る舞いに現れるもの。縁を紡ぎ感じるもの。
お金で買えるようなものだと言うなら、逆に願い下げ。
財務に功徳がないと嘆くご婦人に対して、
会の中からも思い違いを指摘される人は多いかもしれん。
財務は真心だとか、功徳を期待してやるものではないだとか。
しかし、財務の前には婦人部を対象に「こんな見返りがありました」という体験談を
財務の功徳体験として叩き込む集会が何度も開かれるのは事実。
それを会の意向、体質と言うのが間違いだとは私は思わない。
2013年3月2日土曜日
「当たり前」は当たり前じゃない
まだ景気の良い時代に佐川の下請けで儲けて、仲間と会社を作った。
同じように一匹で下請けをやってた人たちを組織して、20人くらいの人を動かしていた。
同業者の中でも桁の違う売上げを誇って有名になったもんだよ。
ウチで仕事をしたいって人が、他業者からどんどん流れてきて、最大の時は40人くらいいたかな。
でも、ちょうど今くらいの時期だった。
下請けさんの一人がある日、過労で仕事場で私の目の前で亡くなったんだ。
そっからだね。お金儲けしか眼中に無かった私が、
生き方ってなんだろうって真剣に考えるようになったのは。
元請に呼び出されて「人間らしい生活をしなさい」って説教されて、
「遺族に訴えられないように手回しを怠るな」って言われて。
そりゃそうさ。朝は5時から夜は11時まで365日お休みも無く働いてたんだもん。
亡くなった人だけじゃない。私もそうだった。
代わってほしくても私の代わりが務まる人はいなかったし、
20人とその家族の生活を背負ってるし、
「もう一生この生活から逃れられない」って思ってたから、
辞められた時はホントに嬉しかったねぇ。
もうお金なんか要らない。
こころが震えて喜べることをして生きていきたいって思った。
若い時は、時給で仕事をするなんて、時間を切り売りするようで馬鹿にしていたけど、
今、アルバイトしながら、
「内容に関わらず時給がもらえる有り難さ」とか、
「会社に行くだけで仕事がある有り難さ」とか、
「日曜日には仕事を忘れてお休みできる有り難さ」とか、
ヒシヒシと噛み締めて喜べるんだよね。
普通の人には当たり前のことが、私にとっては当たり前じゃなくて、
それだけで幸せを人一倍感じることができるんだよ。
貴重な体験をした。本当にそう思う。
石井さん、ありがとう。
あなたのお陰で今がある。
もう一度こころからご冥福をお祈りします。
その運送屋時代にね、誹謗中傷の怪文書バラ撒かれたり、脅迫状も、内容証明郵便も、会社の乗っ取り計画も、一通りはリアルに経験しているんですよ。はい。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月2日