人間は、自分が、生き延びるためならどんなこともいとわない どんな状況でも適応していく 勝ち残り生き残ることで魂は、傷つき続けているのかもしれない
— すっとこどっこいさん (@tedtakakura) 2013年4月29日
この自覚があるってのは素敵だな。
生きてる間に、捨てて行くモノがある。
捨てながら生きている。
今捨てた何かを、自覚できる能力が欲しい。
人間は、自分が、生き延びるためならどんなこともいとわない どんな状況でも適応していく 勝ち残り生き残ることで魂は、傷つき続けているのかもしれない
— すっとこどっこいさん (@tedtakakura) 2013年4月29日
ホンマに思想を広めるつもりなら、いろんな問題を背負った団体とは離れて行動するほうが、軽々と偏見を越えていけるから楽チンだし世のためだと思うよ。そんな気がないから団体にいるんでしょーよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月27日
@shirayuri_kun 「思想を広める」という発想自体が植民地主義的だ。だから本来なら「思想の紹介」程度でいいはずだ。また思想の目的が生きることにあるゆえ、どこに所属しようがしまいが関係ない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月27日
頑張る頑張る言うてる人も、欲張りでわがままなだけって話もある。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月26日
ホントに頑張ろうと思って頑張ってる時は辛くないじゃん。辛いってのはどっかに依存があんだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月26日
あ。頑張るって、我を張るってことか。RT @fuitsuono: 「我ん張る」でどうだ?
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月26日
苦しい辛い言うてる人が、同情すべき人じゃなくて、強欲の塊だって話もある。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月26日
維持したい、継続したい、頑張りと引き換えに報われたい、そんな欲の塊。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月26日
「法を根本に生きる師」の判定基準は「法」なんだから、どっちにしろ法に依るんだよね。。。。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月24日
「法を根本に生きる師」だからって信じちゃいけないね。法は変わらないけど人は変わるから。そう考えれば、師弟ってのは師匠への批判精神と共にあるのが健全。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月24日
そう考えれば、師弟不二の本質は、法 対 個人であって、師匠の存在というのは参考程度であるのが健全。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月24日
よく「自分に勝つ」って言い方をするけども、それが良いことのように当たり前に言うけども、卑屈とか怠惰とかに勝つってのは押し殺しただけだよな。変身した気になっても、背中のチャックが空いてる感じだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月23日
そっか。自分に勝つってのあ、こんな自分は認めないってことだわな。偉い先生がよく言ってる自己欺瞞ってヤツのスタートラインだな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月23日
体験は常に過去。常に条件は変わるのだから再現性など誰に証明できようか。体験こそ確信だ?違う。体験こそが世迷言だ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月23日
まず先に真理があって、それを広く共有、教育するために形式がある。形式を重視し、そればかりに拘るようになると、その形式が真理に到達する条件であるかのように考えはじめる。形式のない時代に「ひとっ飛びに真理を発見した先哲がいた、しかも同じ人間だ」ということは忘れて。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月20日
自分を実現したいという欲望があるときにだけ、死への恐怖があるのです。なぜなら、自分を実現するには時間が、長寿が、継続がなければならないからです。しかし、もし瞬間ごとに自分を実現することができるなら、あなたは死を恐れないのです。(クリシュナムルティ)
— あたしの名言BOTさん (@atashinomeigen) 2013年4月16日
その通り。本当にその通り。願いを叶えたい欲まみれの自称仏法者よ。これが本当の仏法だ。>前RT
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月19日
疑えない前提の聖域を持つから自己矛盾をかかえるんだ。前提を疑う勇気を持っちまえ。( ̄(工) ̄)
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月19日
師を疑うって話をすると、一気に敵視と思う人がいるよね。そこがもう、その白か黒しかないっちゅう発想がもう、最悪…。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月19日
師匠など至る所にいるじゃないか。。。正しい師匠?それはあなたが言っても説得力がない。だってあなたはすでに師匠を見誤ってるんだもの。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月19日
文底ってのは本質を読み解いたってことでしょ。「文献から本質を読み解け。人の解説に振り回されるな。」ってことだよ。不依人 = 師匠と名乗るものに惑わされるな。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月18日
勝手な読み方は許さないってんなら、文底を読んだ日蓮も許されんね。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月18日
そこでさ、師匠に惑わされるなつっても、文献を読み解く学のない鎌倉時代の人のために、思いやりに満ちた解釈を提示したのが日蓮なんじゃね。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月18日
「冬は必ず春となる」というが、四季に例えるならば逆も当然ある。「夏は必ず秋、そして冬になる」ということ。創価では宿命転換というが、そんなモノはなく、人生は恒に変化の連続で喜怒哀楽悲喜こもごもなモノだと理解したほうが良い。巧く行く時もあればあがいても行かない時もあるのだ。
— 運ちゃんさん (@sougaku_salon) 2013年4月17日
冬は必ず…なんて「良いこともあれば悪いこともある」程度の話。それに対して「そこから先はずっと春」ってのが宿命転換、人間革命って思ってるような節があって、そういうとこが悪いけど脳内ホワイトアウトなドリーマーだっちゅう話。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月17日
「ここから先はずっと春」に対する反論ももちろん知ってるよ。ソウカはそんなこと言ってないよね。でもさ、じゃあいつ春がくるわけ?今でしょ。耐え抜いた先に春がくるんじゃない。煩悩即菩提とか因果具時って常に今で完結でしょ。人間革命の先に春があるんじゃない。過程を春と謳歌すべきなんだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月17日
なのにさ、とてもそうとは受け取れない「名言」「励まし」の数々……「励まし」ってそもそも違うじゃん。励まさねばならない対象は、謳歌してない人だろよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月17日
謳歌してない人は、宿命転換や人間革命の過程にいない人ってことじゃん。仏法かけ離れて破綻してるよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月17日
過程を謳歌するってのは、辛いことや苦しいことを押し殺して笑うって意味じゃないよ。それでも頑張ろうってのが安っぽい「励まし」だけども。辛いなら辛い、それを辛さって考えずに、名前のないままの感情を見つめて味合うんだよ。そうすると驚くほど観念に縛られてるのが見えて、自由になれるんだ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月17日
「あなたはどうして論理的に語ることができないんですか?」「翼を持っているのにどうしてわざわざ歩く必要がある?」
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月16日
論理の欠点は飛躍が無いことです。
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月16日
まあ、アタマの悪いヤツはせいぜい論理でも積み上げてろってこった。
— 小田嶋隆さん (@tako_ashi) 2013年4月16日
いっつも思うけどさ、中身の話が出来ない人のために、枠組みや形式があるんだよ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月16日
てことは、形式に囚われてそれを重んじないと罰があたるとか言ってる人は、中身はよく分からんけど従ってますがなにか?って言ってんのと同じ。で、そういう人に広められるのは強迫だけ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月16日
未熟な者の為に形式やマニュアルがある。それがノウハウとなって教育・指導が商売として成り立つ。しかしそのノウハウが常識ほど広まると、誰も指導を乞わなくなって商売システムが崩れる。そしたら超能力とかオカルトの出番がくる。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月16日
示+兄=祝(「示」は、祭卓の形。「兄」は祝詞を入れる器の形)。「祝」は、祭卓の前で神を祭ることを示す。「祝」から「祈」と「呪」とに分化した。(白川静『常用字解』から)
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年4月15日
「祈り」と「呪い」は、ルーツを同じくする行い。それを肝に銘じておく必要がある。
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年4月15日
「出世物語」「成功物語」を歩んでいる人は「不幸物語」「負け犬物語」が怖い、避けようとする 人生はいくつかの物語の組み合わせ 一生幸福、不幸と言う人はいない どん底でも幸福かもしれないと気付けば「幸福物語」が始まる成功に執着している人は心の中は「どん底物語」なのかもしれない
— すっとこどっこいさん (@tedtakakura) 2013年4月14日
これが成功、これが幸せという観念が、人を不幸にし成功から遠ざける。とてもシンプルなこと。観念から自由になるだけ、その一瞬で幸せになれる。仏教で執着を捨てよっとか言うのはそういうことだ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月15日
RT @sandai_hiho 日蓮を伐る!功徳がある筈がない!理不尽がまかり通る!森羅万象皆南無妙法蓮華経なら、理不尽を行っているのは大御本尊だ!矛盾しているよ♪一部の自分の意にかなった人に功徳を与える。う~む!そこらの悪徳社長・上司より悪どいってのが大御本尊だ!騙されるな♪
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月13日
RT @sandai_hiho: 題目500万遍、御書11回、法華経21回、六巻抄11回。無視です!な~にも有りません。この五年間、無駄!退して20年で再起したが、バカみたい!朝早くに全力で起き、題目頑張ってバカみたい!今再び、信心ストラップだ!二乗は二乗なりに行くんだ!
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月13日
RT @sandai_hiho: 地震、流れ星、天候不順。??学会幹部達、どこかで聞いてるだろう?つい最近の地震で死んだ人々、あれと同じ事起きる?何か変だそ?何をどうすればいいかな?原田君!民衆が又、死ぬよ♪
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月13日
『わたしども脱会者にとって、「なんで、こんなものを信じてしまったのか」という謎解きは、将来の“杖”として必要であり、その検証は、国民にとって転ばぬ先の杖の提供となると、わたしは考えて書いている。』(犀の角のように独り歩め) bit.ly/10O4l9m
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月9日
ですから、権威や順応や模倣を完全に無視しなければなりません。でなければ、あなたはただ模倣をし、人の言葉に従うだけであり、それが心を鈍く愚かにしてしまいます。そこに自由はありません。(クリシュナムルティ)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月8日
こわっ∑(゚Д゚) RT @ruri_doll_sea: 「いつやるか?今でしょ!」顕正会でも使ってそう(^∇^;)ただ彼らの場合、ジョークで済まないのがおそろしい。「いつ入信するか?今でしょ!」
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月8日
超こわっ(T ^ T)RT @ruri_doll_sea: @shirayuri_kunあるいは「いつ投票するか?今でしょ!」かな(o・ω・o)?
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月8日
凄すぎっ( ̄(工) ̄) RT @ruri_doll_sea: 「大聖人に背く日本はいつ滅ぶか?今でしょ!」浅井さんも、次はシャレのきいた諌暁書でも出したらウケるわいΣ( ̄□ ̄;)なワケないか…
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月8日
「一千万人いつやるか?今年でしょ!」って浅井さん、大声で言ってたはずなんだけどなぁ。しつこいようだけど。( ̄(oo) ̄*) ブーブー!!
— 瑠璃堂みうさん (@ruri_doll_sea) 2013年4月8日
「六千万人いつやるか?無理でしょ!」だんだん大喜利みたいなってきた…d(>◇< ) アウトッ!
— 瑠璃堂みうさん (@ruri_doll_sea) 2013年4月8日
リアルっていえばこれかもね。/ヒップホップで学ぶ日蓮 「完全教祖マニュアル」bit.ly/17keA94
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月7日
あなたは体験によって、自分の信じているものが真理であるという核心を得ようとしますが、信じること自体があなたの体験を条件づけてしまいます。(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月6日
信じているものの証明として体験が起こるのではなく、その信念が体系をつくり出してしまうのです。あなたの神への信仰が、あなたが「神」と呼ぶものの体験をもたらすのです。(続く)
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月6日
あなたはつねに、自分の信じるものしか体験できません。信念をもっているかぎり、あなたの体験は無意味なのです。(『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ) d.hatena.ne.jp/sessendo/20110…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年4月6日
体験は真実か?/『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ - 古本屋の覚え書き (id:sessendo / @fuitsuono) d.hatena.ne.jp/sessendo/20110… 同意するところ多し。
— 中野毅さん (@ts_nakano) 2013年4月6日
例えば道で何か困ってる人が居た。御構い無しに通り過ぎる人達にも、何か急ぎの事情でもあるのだろう。手伝える私が手伝ってあげればいいことだ。それを、通り過ぎる人達を「それでも人間か!愚か者め。」と罵りながら助けてあげつつ名刺を渡す。それが私の嫌いなソウカの正義です。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月5日
日蓮の思想には多くの誤解がつきまとっていた。その最たるものに「折伏」が排他的だという評価がある。日蓮は確かに浄土宗の法然や真言宗の空海の説を激しく批判した。だが内実は彼らが念仏や真言系以外の仏典を排斥することへの反対に他ならなかった。つまり折伏とは宗派的な排他性への批判だった。→
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月4日
→日蓮も「法華経」以外の教えを排斥したではないか。そういう意見も、むろんある。ただ、彼自身は「法華経」が一切の平等を完全に解明した仏典であると信じていた。だからこそ、「法華経」を尊重する以外に一切の思想・宗教を平等に尊重する道はない、と考えたわけである。「日蓮のことば」松岡幹夫
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年4月4日
映画館に行くとき、君は映画に出演はしていません。
男優と女優が出演していて、君はただ眺めているだけです。
同じように、心の働くようすを眺めなさい。
それは本当に興味深くて、どんな映画よりもはるかに興味深いのです。
なぜなら、心は世界全体の残滓であり、人間の経験してきたすべてを保持しているからです。
理解できますか。君の心は人類です。
そして、このことを知覚するとき、君は無量の慈悲を持つでしょう。
この理解から大いなる愛が出てきます。
そのとき、美しいものを見るとき、君は美しさとは何かを知るでしょう。
「師弟不二」を持ち出す連中のほとんどが、師弟絶対、師弟相対を唱えていることに気づいていない。百歩譲って師弟不二を容認するにしても、それは依正不二の範疇から離れることなどありえない。むしろ、日本武道の極意とされる「守・破・離」のほうがはるかに仏法的といえる。
— ana_gonさん (@sinkousya) 2013年4月2日
守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。 引用:wikipedia