2013年4月30日火曜日

「傷つき続ける魂」


この自覚があるってのは素敵だな。
生きてる間に、捨てて行くモノがある。
捨てながら生きている。
今捨てた何かを、自覚できる能力が欲しい。

2013年4月28日日曜日

広宣流布 改め 広宣



広く宣べるだけでいいのだ。…というかそれしか出来ない。
流布に加担する必要はない。…というかすべきでない。

頑張る頑張る言うてる人



苦しい辛い言うてる人


「依法不依人」とは





なんとかして師匠の威厳を保とうと、辻褄合わせに念入りな人たちがいる。
しかし、「依法不依人」とは、我こそ師匠と自称する輩に惑わされるなということ。
ひたすら法を拠り所にし、人の解釈に依るなということ。

「自分に勝つ」とは


体験こそ世迷言である



風邪をひいた → (祈った) →治った → 功徳だ♪
風邪をひいた → (病院へ行った) →治った → 道理。

「イキイキと体験を語れ」などというけれど、
前者のような認知の歪みを露呈して回る時、
それこそが世迷い言であって、仏法を汚す行為であると思うんだよ。

形式は足枷。



形式は足枷だ。
飛べるものに対し、地を歩いてたどり着けと命令する。
それが唯一の道であるかのように教育する。

2013年4月19日金曜日

本当の仏法


師を疑うということ




「依法不依人」とは




「冬は必ず春となる」けどまた冬になる






「論理の欠点は飛躍が無いことです」




発見は飛躍だが、論理は飛躍しない。

形式は未熟な者のためにある



「祈り」と「呪い」


「これが幸せ」という観念



2013年4月14日日曜日

狂信者の脆さ




なぜ「♪」?、信心ストラップって何じゃらほい、
そこら辺はまあ置いといて…………

これらのツイートは6時間ほどで削除された。
以前にも同じことがあったので、また削除するだろうと思って、
覚え書きに引用リツイートさせてもらったもの。

単にサンプルであって、他意はない。
sandai_hiho氏は、最近多忙で体調がすぐれないらしく、
精神的にも不安定なのだろう。
ご自愛くださいとお伝えしたいところだが、
もうすでにいつもの狂信モードに戻っておられるので
心配ないと思われまする。

しかしまあ、狂ってるな…と思う。
すぐ削除したけども、口が滑ったってレベルじゃない。
かなりの思い込みと思い違いを暴露しつつ、
それでも、これほどの疑念を押し殺させるための「脅し」もしっかり効いているわけで。

マゾ的仏道修行に励む狂信者は案外脆いのね。
本質的な理解は抜きにして、
この模倣(修行)に対して、この見返り(功徳)があるという方程式を信じていて、
「これだけやってるんだから功徳があってもよいはず」って気持ちだから、
うまく行かないじゃん…となると突然プツンと糸が切れる。

師弟という模倣、指導という教育が、
悲劇の狂信者を生み出すんだ。
これが模倣の限界だと思う。

こんな人たちを生み出しながら、
大勝利だのよく言うよ。

ほっときゃ良いんだが、
この方とかもそうだけど、
こういう雰囲気の人ほど他人への説教に熱心で、批判に過剰反応されるから、
なんだか迷惑な場面が多くてね。。。

悪徳「功徳」商法

「なぜこんなものを信じてしまったのか」という謎解き

「権威や順応や模倣を完全に無視しなければなりません」

「いつやるか?無理でしょ!」






ヒップホップで学ぶ日蓮 「完全教祖マニュアル」

2013年4月7日日曜日

「信念をもっている限り体験は無意味」である




2013年4月5日金曜日

私の嫌いなソウカの正義。


例えばの話だよ。
困っている人を見て、見ぬフリはできん!と手を差し伸べる気持ちは大事やね。

でもさ、
よし…仲良くなって折伏しよう!とか、
今度の選挙頼めるかも…とか、
新聞頼めないかなあ…とか、
それってもう、善意の仮面をかぶった◯◯じゃんね。

(◯◯部分はご自由にご想像ください。)

「つまり折伏とは宗派的な排他性への批判だった」



皮肉な話だ。
宗祖の後継を自負する団体が、宗祖の願った知恵と平等を誹り、他宗の排他を叫ぶ。

超訳 日蓮のことば
超訳 日蓮のことば
posted with amazlet at 13.04.05
松岡 幹夫
柏書房
売り上げランキング: 18,518

2013年4月3日水曜日

「君の心は人類です。」

映画館に行くとき、君は映画に出演はしていません。
男優と女優が出演していて、君はただ眺めているだけです。
同じように、心の働くようすを眺めなさい。
それは本当に興味深くて、どんな映画よりもはるかに興味深いのです。
なぜなら、心は世界全体の残滓であり、人間の経験してきたすべてを保持しているからです。
理解できますか。君の心は人類です。
そして、このことを知覚するとき、君は無量の慈悲を持つでしょう。
この理解から大いなる愛が出てきます。
そのとき、美しいものを見るとき、君は美しさとは何かを知るでしょう。

これは形は違えど仏法だ。

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)
J. クリシュナムルティ
平河出版社
売り上げランキング: 155,632

「師弟絶対」


守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。 引用:wikipedia

師弟の断絶