夏の友好期間が終わって、
財務の申込書を持ってきたり、日程表を持ってきたりと、
学会員さんによる地区の家庭訪問が復活しました。
もしかしたら旦那が財務をやりたいと言い出すかもしれないから、
一応受け取った広布部員の申込書。
でも「おまえに任せる」と言われたので、
今年からお断りをすることにしました。
お友達の白ゆり長にその話をしていたら、
「罰が出てからでは遅いから言うのよ」
と、さすがに説教をされてしまいました。
財務をしない・・・ことで罰が出ると思ってるんでしょうか。
そういうところを私は、ぐいぐいと突っ込んでいきたいと思っています。
「罰が出てからでは遅い」というのは明らかに脅されてるのだけど、
多分、彼女は、脅すつもりもなければ、自分が脅されてる自覚もない。
ただ親切で「あなたのために」説教タレてくる。
そんで多分、本心。
責めてるつもりもなければ、馬鹿にしてるつもりもないんです。
誰でも、罰と功徳を振りかざされ、
密な人間関係の中の繋がりを強調され、
退転は堕地獄で、
他に選択肢はなく、
我々だけが正しいと教育されれば、
似非宗教思想に屈してしまう可能性はあるし、
同じ仏教でも、自由と解放の精神を受け止める人もいれば、
厳格なあるべき論と受け止める人もいるわけだけども、
より縛りがキツいほうが「従えば良いだけ」っていう安易さと気楽さを生み出すわけで、
要はアソコは、入り込みやすさっていうのも兼ね備えているわけで。
それで結果的にオーライなら、100歩譲ってそれでもいいのだけども、
その中ですら不満や迷いを抱えちゃってるような人は、
結果すらオーライじゃないっていう悲劇があるわけで。
その友人も、白ゆり長をやりつつ、
新聞や書籍、民音なんかの経済的負担に対してNO!と言い出していて、
それでも拒否ったら罰が出る・・・という観念からは逃れられない状態。
モヤモヤなまま活動する人も、アンチな人も、アンチのアンチなんて人も、
結果はオーライじゃない。
なぜって結果は常に「今」だから。
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