「幹部はおかしいが先生は正しい」
そういう人は多い。
私の身近にいる隣の地区の地区幹部達が、今その状態。
選挙で疲れてしまって、活動への疑問が渦を巻いている。
「でも、みんなそれぞれに先生、先生って言ってるのに、
幹部だけがおかしいってのはおかしくない?」
って聞いてみたら、「新・人間革命の10巻を読んでないの?」と言われた。
読んでない。
旭日大学校(婦人部の新・人間革命勉強会)で読んだのは5巻までで、
それ以降はどうしても読み進む気になれず、
そのあとは旭日大学校も行かなくなった。
(私の不信の引き金の一つが、あの小説だったんす。)
どうも新・人間革命10巻には、学会の選挙運動に関して、
「幹部はおかしいが先生は正しくて、
先生は、会員一人一人を心配して、
学会の将来を憂いておられる。」
というようなことがビッチリ詰めて書いてあるらしい。
(それを書いてるのが池田氏本人という設定を信じるのならば、
自分で言うか・・・それ、っちゅうか、
なんだか言い訳がましい話なんちゃうかなとも思うんですけどもね。)
「じゃあ幹部はおかしいとしとくけども、
新聞にも、活動を鼓舞するようなことが書いてあるけど、
じゃ、新聞もおかしいの?」
と聞いてみたら、
「新聞に書いてあることは基本的には励ましで、
少しおかしなことが書いてあったとしても、
目的を見失わない自分がいれば良いこと。
人に振り回されてはいけない。
人は自分の信心を鍛えてくれる。
人ではなく、先生を見ていれば間違いない。」
って趣旨の答えが返ってきた。
まあ、おかしいな…とは思ってるってことだわな。
要するに、幹部も新聞もおかしなことばっかり言ってるけども、
「先生と私」だけは目的を見失わず、
周りはどんなに変だろうと、一人立つ信心があれば良いのだと。
それってしかし、「組織宗教」として破綻してませんか。
「組織」は信仰心の足を引っ張ってるだけなんじゃありませんか?
それに打ち勝って一人一立つ・・・とは、
創価学会組織は会員にとっての「障害」であるということですか?
一人一人が「地涌の菩薩」であるはずなのに、
幹部会員が他の一般会員の足を引っ張って「魔」の働きをし、
仏の境涯を啓く手助けをしてるっていう話なんですかね。( ̄▽ ̄)
で、それが「仏道修行」だという話なんですかね。
一会員 対 学会組織は、
一修行者 対 魔・・・って言ってるわけなんですかね。
あまりにへんちくりんすぎて、頭が整理できません。( ̄▽ ̄)
が、「無能な部下を嘆く池田氏」という設定が、
最後にして最強の砦となっているのかもしれないと思った次第。
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